水力発電はなぜ見捨てられたか

近県(100km以内程度)のここ10年20年くらいに出来た大型ダムには、「七ヶ宿ダム」「摺上川ダム」「三春ダム」などがあるが、いずれも多目的ダムなのに発電所がない。
ダム管理用として自分で使う分だけ発電する、小規模の装置が付属している場合があるようだが、例外的なものだろう。
東北・北海道だけ見ても、1980年以降に出来たダムの半数以上が発電をしないか1000世帯以上の給電を考えていない小規模発電だ。
いったいいつからこんな傾向になったのか調べようがないが、漠然とは30〜40年前頃からダムの思想ががらりと変わった感がある。
黒部ダムはじめダムと言えば発電とばかりに、懸命に作ってきたダム発電をすっぱりあきらめて、利水・洪水調節のみに特化するのが主流になったようなのだ。
日本の風土に合ったこんなすばらしい発電方式、ヨーロッパ人から見れば全河川が「滝のような」急勾配と言われた、発電の為にあるようなこの大資源を無視するとは。
これ以上エコな発電は太陽光発電以外考えられないのに。しかも24時間発電能力は太陽光と比べようがないのだ。
いったいなぜこんなことになってしまったのか。
利水・治水と発電は両立しにくいのだ、と言う屁理屈もあるかと思うが、明治以来その点は運用方法で立派に解決してきたのだ。
技術の発達した現代で昔より難しいわけはないだろう。
誰でも気がつくことだが、これは「原子力発電」の存在が原因だろう。つまり原子力発電の拡大を妨げるようなことをやらせない力が働いているのだ。
水力発電より何倍もの巨大な利権が何倍もの広い分野で動き、外国資本まで絡むハイエナたちの絶好の好餌になってしまったのだ。
廃炉処理や燃えがら処理に将来いくらかかるか計算不能(処分方法も暗中模索、目途が立っていない)なのに、次世代にツケまわしして、今現在だけの利益をむさぼる重電メーカーや政治家・土建屋・資材メーカー・海外勢力。
はては核軍備まで視野に入れた極右政治家の野望に基づいた、MOX燃料サイクルによるプルトニウム蓄積。
このMOX燃料は、埋設処理可能な温度まで下がるのに500年かかるという、おまけに精製・運用にウラニウムの何10倍もの費用がかかるという言語道断の無用・危険・無駄・矛盾のかたまりのような代物だ。
これを各地で住民をたぶらかして、電力会社にごり押しさせている闇の勢力。
この勢力の一掃まで新政権が断行可能か? 官僚の専横封じ込めより遙かに困難な仕事だろう。闇勢力に数人殺されるくらいの犠牲は予想できるから、とても今の民主党だけでは不可能だ。
与野党一致で決議するくらいの力を結集しなければ無理だ。それには全国民がこの事実を理解し、賛成し、国会を支援しなければならない。
でもそんなことは無理、考えない方がいい、と言うのが一般的な反応だろうね。実は私もそう思う。殺し屋も怖いしね。
それでも田舎ブログの隅っこでぶつぶつつぶやく程度のことはやりたい。遺言になるかもしれんが。
あとそれから、巨大水力発電所は近年でもどんどん作ってるじゃないかという目くらまし発言があると思うが、あれは夜間余剰電力が宿命のネックである原子力発電の、欠点をカバーするだけのものだ。
チェルノブイリ以来出力調整不可となった余剰電力で上ダムに夜間揚水し、昼間落水で補助発電させるだけの、利水や治水に殆ど関係ないダムを上下2個も作ってしまう巨大な無駄遣いだ。
すべて「まず原子力発電ありき」の無理・無駄大盤振る舞いの馬鹿馬鹿しいお話。
これら無駄に使われた何十兆円もの金は、戸別補償等の国民生活向上やセーフティネットに直接使われていたら、とっくに生活困窮者・自殺者などを救済した上に、消費・購買の活性化で景気回復も実現できていたろう。
民主党の目指す政策の財源など簡単に調達できたのだ。八ッ場ダムを切って捨てる返す刀で「原子力行政」の伏魔殿を切り伏せることが出来るのか。万に一つの期待をこめるしかない。