物価安定と言うか、デフレと言うかの違いだろうか

西部開拓時代の1ドルは、現在のドルの10倍の値打ちがあったそうだ。つまり今85円の1ドルがその昔は850円だった。150年以上たっても10分の1にしかなっていないとも言える。
これが日本だとひどいものだ。明治初期と比べても約5000分の1である。戦勝国と敗戦国の違いもあるが、日本の物価の動きは異常で、50年前の昭和35年頃と比べても、初任給12000円やラーメン35円だったことを考えると生活実感上は10〜15倍の「値上がり」と言える。
生活者の目では、アメリカは150年で10倍の値上がり、日本は5000倍の値上がり、しかもここ50年だけでも10倍以上の値上がりだということだ。
日本人はマヒしてるのかもしれないが、物価は上がり続けるのが当たり前ということはない。100年でも200年でも余り変わらない、というのが結局安心して暮らせる一つの条件だろう。
・・・それでは給料はどうなる?給料が上がらなかったら困るだろう?と言う人が必ずいる。
でも日本のこれまでの物価と給料の推移を考えて欲しい。生活が苦しいから給料を上げろ!という要求は当然だった時代があった。しかしそれは敗戦後のすべてが酷い状態での無茶苦茶な時代だった。
昭和40年を過ぎても、労組は惰性で毎年賃上げを要求し、これをやらない労組は批判罵倒された。経営側も安易にほどほどの線でこれを飲み続けた。経営合理化・生産性向上等の面倒なことは避け、これまた安易に製品や料金の値上げなどで対応した。鉄道・バス・電気などの公共サービスは特に安易に率先値上げした。これを30年も続けたらどうなるか。
結果として1990年代には日本の平均労働者賃金レベルはアメリカのそれより100万円多い400万円台に上り詰め、世界一となった。なぜかマスコミは全く報じないが。
最近のデータは見ていないが、相変わらず世界一をキープしているはずである。
同時に当然ながら「物価」も世界一になった。これでいいと思うなら仕方がないが、やっていけなくなる日がいつか来る。
グローバル化」といえば格好いいが、これは他の低賃金国と1対1の真剣勝負をすることである。100円ショップで安いと喜んでいる内に自分の職がなくなり、卒業してもフリーターというのがグローバル化の実態だ。
しかもうまく逃げ込んだはずの現役正社員の給料も、「グローバル化」される運命なのに気がついているだろうか。

結論を言えば、日本の給料は上がりすぎた。物価も上がりすぎた。日本は袋小路に迷い込んだのである。
誰もこのことに言及しない。心配も考察もしていない。愚かなマスコミは気がついてもいない。逆にデフレ対策がどうのと見当違いな論説をくりかえす。
いったんグローバル化が始まったら止めることは不可能だ。賃金も物価も下がり続けるはずだ。このまま自然に任せるほかはないのだ。
この機会に日本も「普通の国・普通の物価・普通の賃金」を実現するのが長い目で見て賢いのだろう。勿論30〜40年もバカをやってきたのだから、矯正するのは非常な痛みを伴うと思うが。