憲 法 って...

  • まっとうな意見になかなかお目にかかれない今日びだけど、ひさしぶりにいい記事を読みました。

「■萬晩報 コラム配信ジャーナリズム■ http://www.yorozubp.com/ 」で配信されたドイツ在住の美濃口 坦さんの記事です。
憲法と「世直し運動」(1)2005年03月23日(水)ドイツ在住ジャーナリスト  美濃口 坦 )

  • これを読むと、いままで「憲法」についてバクゼンとした意識しか持っていなかったことに気がつきます。

美濃口さんの明快な定義は「憲法は法規である」ということです。あたりまえなんですが、みんなこれを忘れて自分の「理想」を盛り込もうと躍起になっていると彼は言う。法規に「文学的な」自分の理想・願望を反映させようとする。

〜引用〜
 理想やイデオロギーや宗教が異なる人々が同じ国家のなかで共存しなければい
けない。対立・紛争は当然発生する。でも収拾できなくなり内乱に発展したり、
また国家機能が停止したりすることがあってはならない。そのために、私たちに
憲法がある。日本の憲法論議で一番欠けているのは憲法についてのこのような
シビアな考え方ではないのか。

 このシビアな憲法観をもたないからこそ、憲法が法規である意識が失われ、
「私の(わが党の)理想を憲法に」というのんきな話になる。「憲法改正プロジ
ェクトチーム」を組む自民党は今年11月に党結成50周年をむかえ、それに合
わせて憲法改正案を作ると発表している。これは、憲法改正を一政治結社の記念
行事の出し物と同列に扱っていることになるのに、この党の政治家その奇妙さに
も気がつかない。この無頓着こそ彼らの呑気な憲法観の特徴である。
〜引用了〜


その「自分」が常々小説や論説を月に5冊10冊読んでるくらいの「文学的」素養があるとか、たまには「個人の自由」「言論の自由」や「人権」に思いを馳せるとかしていればともかく、その対極にいる人の声の方がデカい。

いわばこのような精神的に底辺のオッサン・ジイサンたちが社会を動かし、それなりにまずまず運営されていて、その恩恵にあずかっているのは感謝しなければなりません。だからといって訳の分らぬうちに

  • 家庭を守るのは女。
  • 国旗・国歌をこころから愛するのは当然で義務である。
  • 国の防衛だけでなく、同盟国のために他国で戦闘に入るのも国益のためには可。

等々の先進国では無謀と思われるほどの過激な条項を盛り込まれてはたまりません。
まあ人権後進国ではありますが。

ひとたび法規化されれば、この国の通例として批判・不従を許さず、「非国民」として民衆レベルで弾圧される。刑法と同じ概念で断罪する。
東京都の日の丸君が代騒動が良い例です。
民衆一人一人に批判力が不足で、自分の頭で考える習慣がついていないのが原因でしょうが、みんなにこのような批判力や習慣が身についていれば、とっくに選挙で政治が民衆のものになり、清潔で効率的な政府ができていたことでしょう。
私を含め、みんなのレベルがせめてスウェーデンなみの政治を作れるまでになるのはいつのことでしょうか。