「電通の時代」を悲しむべきか

  • 太平洋戦争を起こした責任は国民全体にあり、A級戦犯だけを問題にするのはおかしいという議論

があるそうだ。(http://homepage3.nifty.com/hidefuurai/tojyo.html より)

  • 国民にも戦争責任があると主張するためには、その国の言論の自由が完全に保証されていなければならない。戦争を始める前の日本には、そんな状況はなかった。特高警察が「危険思想」の持ち主を洗いざらい逮捕して戦争反対の声を圧殺していたのである。(同)

今は違う。 ありがたいことに、言論の自由は完全に保障されている。 ただ自分で見て聞いて自分で判断する自由をほとんど放棄しているだけだ。
だから今回の選挙でもマスコミに巧みに誘導された民衆は、小泉に勝利を与えた。 特高警察がなくても、より巧妙な方法で同じ結果が得られることが証明されたようなものだ。

  • なぜマスコミは大衆を誘導したか。

ウォール街のシナリオに従っただけで、自分たちには事の重大さも分らず無責任に実行したようだ。 ユダヤ財閥を中心とする勢力が、郵貯関連の350兆円の巨大な資金を手に入れようと、マスコミに君臨する電通に3兆円の資金を与えたという。 電通はただその指示に従っただけで罪の意識はない。
これで自由化された350兆円が海を越えてアメリカに渡り、「気が向いたら返すよ」ということになるレールが敷かれた。 大衆はもとよりだれにも罪の意識はない。
新生銀行が何兆円もの国費を吸込み、それをユダヤ財閥が10億円で手に入れ、大もうけしたことすらロクに報道されないが、経緯を誰より知っているマスコミが、郵貯資金がどうなるか考えないようにしている。 罪の意識を持ってはいけないからだ。

  • 道路公団もこの10月から同じ道を転げ落ち、道路網は米国投資ファンドの手に落ち、料金値上げ、永久有料化の道をたどる。

どれもこれも言論自由のもとで国民が選んだ「自国破滅の道」だ。 歴史家が日本のこの時代を名付けて「電通の時代」とでもする日が来るであろう。
考えてみれば、民衆が政治の方針に多少なりとも参画しえた明治後期から敗戦まで、一つ一つのエポックで民衆は愚かであった。 敗戦で学んだことも昭和30年代で忘れた。
今、投票で完全に政治の方向を変えられる力を持ちながら、情報操作で簡単に権力者の思うように行動する。 これからもウォール街に貢ぐ勤勉で無欲な隷属国の民衆であり続けるだろう。 それで飢えたり戦場をさまよったりしなくともよい今の小さな幸せが続くなら、これでよいと信ずるのならそれも良いのかもしれない。
しかし「茹でガエル」(徐々に熱くなる湯のなかでノホホンとしていると・・・)のたとえもある。 孫・子の時代の日本はどうなってるか、見ることが出来たとしても見たくはないね。<追記>
キアヌ・リーヴスの「ディアボロス 悪魔の扉」を見た。 悪魔がニューヨークの法曹界を乗っ取る話だ。 悪魔曰く、法律が人間界を規制し動かす。 その法律を支配すれば人間界を思うままに支配出来る、と。
日本の司法もときどき怪しいことをするが、それよりこの国ではマスコミを支配する方が手っ取り早い。 誰もが単純で簡単にマスコミにコントロールされやすいからだ。
マスコミが報じないことは「存在」しない。 マスコミが報じていることはすべて「事実」。 これがこの国の大衆の習性になってしまった。
他国の弱点を調べるのが巧みな連中が見逃すわけがない。 それでまず電通が3兆円で支配され、その電通がマスコミをあやつった。 で、大衆がマスコミに見事にあやつられたのが、今回の選挙であった。